なぽれぼ

ナポレオンとフランス革命について色々

ラアルプ

ナポレオン 獅子の時代 長谷川哲也

アメデ=エマニュエル=フランソワ・ラアルプ Laharpe Amédée-Emmanuel-François(1754-1796)

1754年10月17日にスイスのロールで生まれた。
1773年にスイスの連隊に入り、先ずオランダで軍務に就き、それから祖国スイスに戻り働いた。
1781年5月、小銃兵連隊大尉。12月17日には擲弾兵大尉。
ヴォー州での暴動発生後はフランスに亡命。
1792年、ビッチュで少佐に昇進。
1793年1月14日、第35歩兵連隊の中佐となる。
アルプス方面軍に勤め、ついでトゥーロン攻囲に参加。
12月17日、バラスに臨時の半旅団長(連隊長、大佐)に任じられる。
12月20日マッセナの下で臨時の旅団長となった。
1794年4月5日、オニールへの遠征に従軍。
8月29日、公安員会から正式に旅団長と認められる。
1795年8月16日、師団長に昇進。
11月23日から24日のロアノの戦いでは、マッセナの下で前衛の師団を指揮した。
1796年4月12日のモンテノッテの戦い、14日のミレッシモの戦いではともに勝利に貢献した。
5月7日ポー川を渡河。
5月8日コドーニョで野営。その夜、部隊の前哨がオーストリア軍の攻撃を受ける。
兵の混乱を収めるべく奮闘を続けていたラアルプは一発の銃弾に倒れた。
味方の誤射との説もある。
ラアルプ将軍の名はパリのエトワール凱旋門に今も記されている。