なぽれぼ

ナポレオンとフランス革命について色々

ボーリュー

Beaulieu00.jpgナポレオン 獅子の時代 長谷川哲也ランペルール コーエー

ヨハン=ペーター・ボーリュー Beaulieu,Johann Peter(1725-1819)

ブラバン(現在のベルギー南部)出身。
18歳でオーストリア軍に入隊、七年戦争に参加し、ダウン元帥の幕僚となり名を上げた。
この間の功績によりマリア・テレジア大十字章を授けられ、男爵となった。
兄弟の三人もオーストリア軍人だったが、七年戦争バイエルン継承戦争で全て失っている。
1789年、フランス革命に呼応して故郷ブラバンオーストリアからの独立を図った際、屋敷に押し寄せた暴徒によって一人息子(養子との表記もあり)も亡くしている。
1792年4月29日、バランシェンヌ近郊で師団を指揮し、ビロン将軍率いるフランス軍を撃破。同年11月6日のジェマップの戦いでも左翼を指揮し勇戦した。
1794年4月にアールロンでジュールダンのフランス軍を破り、同年後半にクレアファイト将軍の参謀長となった。
師団長としてイタリアに転任し、1796年前半に北部イタリアのオーストリア軍総司令官となった。
しかしボナパルト将軍率いるフランス軍にモンテノッテやロディで大敗。
イタリアからチロルへ叩き出されると、6月に司令官職を辞し、リンツ近郊の所領に引退した。
1819年に死去。
美術品や建築に造詣が深く、皇宮の装飾に関与したこともあった。
自らも美術品を収集していたが、度重なる戦火のなか、そのほとんどは焼失あるいは略奪されたという。